段々と嫌になってきた

甘いものが食べたい

パフェが食べたい

 

デザインという方向に進んだ宿命だ

「ねらい」「意図」

めちゃくちゃ聞かれる

 

それらがクリエイションにおいてとても大切だということは十分理解している

してはいるんだよ

 

でも、そんな行為が

無粋で、馬鹿らしいとしか思えない

 

私としては、見た人が思うままに感じてほしいんだ

 

ラーメンを食べる時に

「このラーメンは魚介系の出汁を使っていて、麺はモッチリ、上にかかった柚子胡椒の香りがアクセントになっている。そして後味はさっぱりとしていて、食べたらすぐに『もう一口』と思う、そんなラーメンなんだ」

なんて説明されてから食べたら、もう味わう余地はないでしょう

言われたことがそのままなんだから。

そんな説明は、出来れば聞きたくない

 

ピカソゲルニカを見た時に

きっと、みんなが「何これ?」となると思う

そして説明を聞いて理解・納得をする(しなくてもいいけど)

 

「体験」→「説明」という形が美しい

もちろん、デザインもその体をなしている

しかし、体験が短すぎる

すぐに「これはどういうこと?」と聞かれる

「そんなものはないよ」とか「ご想像にお任せします」なんて言ってやりたいものだ

当然、言ってはいけない

デザインにおいて、それはとても必要なことだから

 

でも、必要なことだから

説明すると凄く長くなる

体験が短いと、見た人は自分の感想を考える時間さえ生まれない

それなのに説明されてしまうから、次に見た時には先入観バリバリの感想になってしまう

 

我が根底は「楽しむこと」である

遊び心を説明で固めたら

遊べる心も遊べなくなってしまう

 

周りとは違うのだ、と奇を衒いたくはない

私はこんなことも考えられるのだ、と高を括りたくもない

ただ楽しんでもらう

ただ喜んでもらう

ただ考えてもらう

それだけの事なのだ

右下に説明なんていらない

書くとすれば、私が自分の絵を見た感想だろう

 

それはデザインではなくてアートだと言われるだろう

 

デザインの元の意味は「設計」

最近では、コミュニケーションの役割を持ったものと解釈される

私の考え方は、そこから逸脱はしていないよ

自分の思いだろうが、クライアントからの依頼であろうが、その人の代わりに必死に構想を練って伝えていく所存ですよ

今はまだ力不足だけど

喜んでもらうために、必死に努力はできる

努力賞なんてないけれど、

努力なんか伝わらなくていい

伝えるのは相手の思いなんだから

 

だから、本当は説明なんてしたくない

説明がしたくなるのは、きっと相手の感想を聞いた後だろう

「可愛い」「格好いい」「綺麗」「発想が独特」

そんな感想でいいんだよ

だって、そっちの方が絶対に楽しいから。

 

プリンアラモードが食べたい